「どんないのちを生きていますか(3)」  濤 了恵

 生きとってよかったなあと思うのはねえ、市長さんから座布団もろうたとき に言うがじゃないげん。「この一言に逢うてよかったなあ」というとき、生きと ってよかったなあと言うがでないが?。

 それをみんな間違えとるげん。長い間生きとりゃさえええと思とるがや。い のちは長さではないげん、ホントに。三部経どこ読んでみたところで、いのちは 長いのが値打ちやとはおっしゃっとらん。
 いのちは、どんな性(しょう)のいのちを生きとるかということが大事やと 。地獄の性からは地獄の業しか生まれてこんし、餓鬼の性を生きておるもんから は餓鬼の業しか生まれてこんぞ。畜生の業が生まれてきたということはね、人間 性が欠落したことや。欠けていったことや。

 それを四十八願の一番最初におっしゃるげん。だから、四十八願の第一の願 というのは何かというたら、無三悪趣(むさんまくしゅ)の願と。たとえ我が仏 になったとしても、わが国に生まれた者が、地獄餓鬼畜生の性を持つならば、我 は仏になるわけにはいかんとおっしゃったのが第一願や。
 あれなんかもしっかり読んでみるとねえ、面白い言い方やなあと思いますよ 。なぜなら、「我が国」というのは仏の世界でしょう。仏の世界になぜわざわざ 「地獄餓鬼畜生がないように」って言わんなんが?。地獄餓鬼畜生があるのはこ の娑婆なんですよ。

 なぜ第一願にああいうことおっしゃるのかというたらね、無三悪趣というの は境涯ということや、境涯。悪の境涯というのは人間性が欠落していったことや 。その代表的なものが、三つある。地獄餓鬼畜生や。こんな豊かな時代になった のに、人間性の無くなっているのが今でないが?

 つい三、四日前でしたが、この話を聞いて私はネコより始末が悪いなあと思 った。なにがと言うたら、2人目の子供を育てている母親が、子供にオッパイ飲 ませとったがやと。まだ一年経たない赤ん坊にオッパイ飲ませとった。そしたら ネンネがオッパイ飲んでいて吐いたといね。それで母親の洋服が濡れたがやと。 私の洋服を汚したというがで、放り投げたがやといね。オラでさえも、好きな酒 でも飲みすぎりゃあ吐くがねえ。そうでないですか。いや、ホントですよ。そし て、放り投げて、頭の方に異常が発見されたといね。

 自分がお腹に十ヶ月抱えていたその子供が、吐いて服汚したと言うて放り出 したといね。ネコそんなことせんぞ。いや、ホントや。よく「畜生以下や」と言 う人おりますがね、ネコの方が言いますよ、「おまえ達はホントに人間より悪い がいや」と言うとるわいね。ただ聞こえんだけや。

 「衣食足りて礼節を知る」と、日本人は儒教の教えで育てられてきたんや。 着るものが程々になって、食べる物が程々になると、人間らしくなるというのが 儒教の教えや。ところが今は、程々どころではない、着るものもいっぱいあるし 、食べる物もいっぱいあるし、豊やねえ。そうしたら人間らしくなりましたか? 。

 全く計算違いになったしまったがいね。儒教の教えでは人間は救われなかっ た。あれは貧しい時代に言っただけです。あれが真実の教えならば、豊かな日本 人は豊かな人間性を持ってもいいはずや。違いますか?

 如来様の眼から見たらねえ、人間になれるご縁を頂いておりながら、人間になれないままに終わろうとして いる者がおるから目ェ放されんといね。そんながですよ、あの第一願は。

(’99の報恩講の御法話より抜粋 文責・稱佛寺)

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