「私と阿弥陀さんとの関係は」  濤 了恵



 日本人はみんな長生きになってきたんです。長生きになってきましたから、 女の古い人がたくさんになってきたんです。平均寿命は女の人のほうがぐっと長 いんですから。長寿国日本というのは、女の古いのがたくさんになったんです。

 けれども、女の古い人は増えたけれども、不思議なことに「バアバ」がおら んがになってしもたですわ。そうでないですか。「ねえ、おばあちゃん」と、「 お」を付けなければ返事してくれませんよ。私もたった一人、バアバを持ってお りましたけれども、そのバアバが亡くなってしまったら今では「お」を付けるか 、「ちゃん」か「様」を付けなければ答えてくれんがばっかりになってしまいま しいた。
 そして、そのバアバがいなくなったときに私は気付かさしてもらったのはね 、私にとっては女の古いのがバアバでなくして、バアバと呼ばしていただくのは それは関係の言葉やったなと思いました。私は一番最初にこう申しましたねえ、 人間が生きているというのはね、本当は関係の存在なんですよ。

 「おら、誰の世話にもなった覚えはない」という人がおりますが、それはあ んた、鈍感なだけや。いや、本当ですよ。誰の世話にもならんと生きておれると いう事は絶対ないですわ。うちらの在所に非常に元気な分家のお嫁さんがいまし てねえ、何かの話のついでにこう本音を漏らしたことがありますわ。

 「ごえんさま、本家の姉様は、言うてみればよそから来てぞろっと座って本 家の嫁になったげ。だから何もかんも親様から、先祖様から頂いたそこにすわっ とるだけなげ。おらは親様から何一つもらわなかった。本家から何一つもらわな かったげ」。

 私は詳しいことは知らん。「もらわなかった」と言うからもらわなかったと 思わなならん。「本当にもらわなかったか」と言うたら、「箸一本もらわんと来 て、家始めたげん」と言うから、「誰とや」と聞いたら「父ちゃんと」。「ほう か、そやけどその父ちゃん誰からもろた」(笑)。
 いや、そうでないですか。その気丈な分家の嫁さんが父ちゃんを産んでから 所帯持ったがかねえ。こんなでかいが貰っておりながら、親から何一つもらわな かったといね。

 関係の存在ですよ。そうすると、関係の存在というのはね、そこには必ず関 係の言葉があるはずや。そうでしょう。そうすると、女の古いのがバアバでなく して、私にとってはバアバと声かけられたけれども、家の女房は最後までバアバ とは呼べなかったです。「婆ちゃん」と言うとりました。陰でバアバと呼んどっ たのは聞いたことあるけどねえ。

 そうすると、一番短い言葉で結ばせていただいた間柄の言葉でないですかね え。決して私は見下げた呼び名ではないと思う。ですから、たとえば車で通り掛 かってですよ、そのたった一人の貴重なバアバに会ったときに、「バアバ」と窓 開けて声かけるげん。そんな、敬称付けて呼ばなならん人に私は車の窓開けて声 かけんわいね。このバアバには声かけんならんげん。声かけると次の朝、おら寝 とる間に白菜の新しいが今なら持ってきてくださるげん。どうしてかと言うたら 、車からバアバと声かけていきなさったがごえんさんやと思たから、「ああ、帰 ってみえたがかなと思て畑から白菜持って来たわいね。奥さんまた一夜漬けにで もしてあげさしやね。ごえん様そんな漬けもん好きながやからね」。

 敬称付けんもんは持ってくるし、敬称付けなならんもんは持って来んぞいね 。なんでかというたら本当のつながりでないから。そうでしょう。

 そうすると、難しいとか難しくないとかいうことではなくして、あなたと阿 弥陀さんとはどんな関係ですかと尋ねられたときに、あなたは尋ねた人に答えら れんのではなくして、自分自身に対して答えられなければ一体どうするんですか 。そうでしょう。

 その関係を私達に明らかにされたのが親鸞さまです。その関係を親鸞さまが どなたから明らかにさせていただいたのかと言うたら、法然さまです。法然さま はどなたにお会いになることによってご自分と阿弥陀さまの関係が明らかになっ たかといったら、善導大師です。
 歴史に細かい人がおいでになると、「それは濤さん、間違いや。善導さまと 法然さまの時代は違う」と仰るでしょう。その通りです。直接にお会いになった ことはないけれども、しかし、善導さまが書き残してくださったお聖教に遇うこ とによってご本尊さまと自分の関係が明らかになったから、浄土の世界に生きる ことができたんです。

 如来さまと私の関係は、「念仏申せ」と願われた関係なんですよ。おらが、 私が、阿弥陀さまに関係を作っていくのではないげん。そういう関係を自力と言 うげん。自力で神仏に関係をしていく立場の人は、どういう根性で神仏と関係を 結んでいくのかというたらね、二月三日の晩に豆撒いとる、あの根性や。
 「福は内、鬼は外」。もう少し分かり易く言うたら「私にとって都合の悪い ものはみんな出ていけ」と言うとるがでないが、あれは。鬼というのはそんなん でしょう。おら家にとって都合の悪いものはみんな出ていけと言うとるがでしょ う。そして私にとって都合のいいものだけ入ってこいといってるのじゃございま せんか。

 如来さまは「十方衆生よ」と私達に呼び掛け、願いをかけてくださったはず や。「念仏申せ」という願いです。その願いはまた、呼び掛けです。呼び掛けて いることに気付いてほしい、呼び掛けられていることに目覚めてほしいという願 いです。その願いに対して「このような私に呼びかけ続けてくださっていたこと が今わかりました」と言う返事が、お念仏です。


(この文章は、当院報恩講での濤了恵先生のお話から抜粋したものです。)

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