「人間死ねば仏になる(2)」  林 暁宇



 鈴木章子さんは、実は自分がガンで死んでいかねばならんという時にね、色 々な問題があったけれども、二つの大きな問題があった。一つは、若い母親です から子供が四人おる。みんな未婚だ。それをおいて死んでいかねばならんという 問題。もう一つは、年老いてやっと生きておる両親に先立って、自分が先に死ん で、あの年老いた父と母に悲しみをあたえねばならないという、この二つの問題 があった。

 ところが思いがけなくお父さんとお母さんが、間を一か月おかずに相次いで 先に亡くなられたんです。そのお父さんがかねがね、「章子、代われるものなら 代わってやりたい」といつも言っておられた。それを章子さんが言われるんです 。うちの父は本当に心からそう言っているんだ。なぜなら自分が子供の時いたず らしては、母に叱られた。母の前に座らされ、長いことせっかんされた、その時 に必ず父が横に座って、私に代わって謝ってくれた、というんです。
 これが親ですね。だからいま父が、「章子、代われるものなら代わってやり たい」というのは、本当に父の心いっぱいなんだ。けれども代わることが出来な いでしょ。それで、「お前はお前の業を引き受けていってくれよな」。こういつ も言われた。

 その父が、思いがけなく先に死ぬことになった。その父を見舞いに行ったら 、「自分のほうが先になった」と、こう言って、そして、「たとえどちらが先に なろうとも、還るところはみな一つ」。たとえ親が先になろうが子が先になろう が、還る所はみなひとつ、と。如来さんのところへ、阿弥陀さんのところへ、浄 土へ還らしてもらうんだ、ナンマンダブツ、と。これがお父さんとの最後でした 。

 そして一月たたずにお母さんが、やっぱり駄目だというのでね、おかあさん を見舞いに行ったらね、お母さんが一人で下に寝ていた。お母さんが一人で寝と るので、「お母さん、私今晩からここに寝てあげる」「そんなことせんでもいい 」「でも一人で寂しいでしょ」。そう言うたら、「なあんも寂しない。一人でな い、如来さんと一緒。死んだとうさんと一緒。これで満足」。

これなんですね。一人でない、と。「寂しない、お前はそんなこと心配する こといらん、お前は家に帰ってお前の体を大事にせえ。お前は子供がおるんだか ら」。一人でない。なんも寂しくない。如来さんと一緒、こないだ死んでいった とうさんも一緒。こういう世界なんです。そのお母さんもやがて、「みんな同じ お念仏をして・・・・」と、こう言うてナンマンダブツ。これが最後になるんで すね。

 この父と母の死に出会ったとき、確かに悲しかった。寂しかったけれどもね 、その時から全く違う世界が自分に開けた。どういうことかというたら、今まで は、自分が死んでいく、死んで行かんならんという、心細さがやっぱりあった。 ところがね、私が一人で帰っていかねばならんと思っていた故郷の家に、父と母 が、先に帰って明かりをともして、部屋を暖めて、「章子、いつでも帰っておい で、部屋も暖まったよ、明かりもついたよ」と、こう言ってくれている声が聞こ えるようになったというんです。

 章子さんが京都の女子大へ行っていたとき、二学期終わって帰省してきた。 暗くなって駅へ着いた。そこからお寺まで、娘の身でね、冬の暗い夜道を一人で 帰っていく。寂しいです。ものすごく心細い思いで歩いておると、ぽかっと自分 の家から漏れてくる明かりが見えた。その途端にぱっとね、今までの恐ろしさも 寂しさもみんななくなって、ただ懐かしさ、嬉しさ一杯になって駆けて家へ帰っ た、あの世界。

 お父さんとお母さんが先に帰っていてくれて、そこに明かりをつけてあこで 待っていてくれる。自分が死ぬということは、あの父と母の待ってくれている暖 かい部屋へ帰って行くことなんだ、と。
 今まで感じることの出来なかった、明るい安らかな気持ちにさせていただい て、それ以来、一本の草を見ても木を見ても、みんな自分と息を通わせて生きて いる。草一本までが、生あるものすべてが懐かしい。不思議な世界に生かされる ことになった、と言われるんですよ。

 そして、父と母が生きているとき、私を本当に思ってくれた、可愛がってく れた、いろんなことも聞かしてくれた。けれど、私をこんな豊かなあたたかい気 持ちにしてくれることは出来なかった。けれども、いま自分の死というものを通 して、この肉体の命というもののなくなったときを境に、父と母が私にとって、 そういう存在になった。そのとき、そうだ、父も母も仏になったのだ。私をこん な気持ちに救ってくれる、そういう仏になったのだ。それ以来、いつでもその父 と母が私に付いていてくれる。私を守ってくれている、と。

 暁烏先生もおっしゃってますね。私達の両親は、生きている間は凡夫だ、と 。煩悩を持った凡夫だ。けれども死んでから年月が立つごとに、大きな仏になっ ていかれる。で、最後には阿弥陀さんと一体になる。一つになる。そうすると、 そのことを気付かせていただくと、私共が死ぬということは、その懐かしい親の ところへ帰らせてもらうことだ。この安心が出来ますと、この世のどんな危ない 無常の世の中に生かされていても、安らかで、そして、心強い、暖かい気持ちで 生きていける。誰にでも懐かしい心で近づける。誰とでも心を通わせて生きてい くことが出来るようになる。それが、正定聚、不退の位。この命終えたときに必 ず、浄土に往生させていただいて、仏にさせていただけるんだということが明ら かになったときに、この世に何の危ぶみもない生活が今から始まる。

 そういう意味で、私達は、先ず、自分が死んだらどうなるかということが気 になればなるほど、先に亡くなっていった親や、お祖父さんやお祖母さん、添い 合い、子供がどうなっているかということを知らせていただくことが大事で、そ れが法事ということなんだと思います。

寺井山叢書第五集「〜法事の話〜 人間死ねば仏になる」より抜粋


この文章は当院の鍋谷道場で行われた林暁宇先生の御法話から抜粋したもので す。
このときの御法話については具足舎から出ております『〜法事の話〜 人間死 ねば仏になる』に全文が収録されております。

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