「人間死ねば仏になる」  林 暁宇



 亡くなられた方がどのようになっておられるのか。私らが死んだらどうなる のか。この問題ですけれども、今日は法事ですから、仏法一般ということよりも 、亡くなられた、自分の親や添い合や、親しい人が、どうなっておるのかと、こ ういうところに重点をおいて、考えさせていただきたいと思うんです。

 皆さんご承知でしょうが、田中角栄さんのロッキ−ド事件のときに非常に活 躍された、伊藤栄樹という、後に検事総長になった方があります。この方はガン で亡くなられるんですが、自分の死んで行くことをあらかじめ知りまして、そし て、自分の気持ちというものを書き残しております。それが本になって出ており ますが、ご承知の方があるかと思います。『人は死ねばゴミになる』、こういう 題になって本が出ております。ずいぶん多く読まれたようです。そしてこういう 考えが現代の多くの日本人に受けるんですね。結局はどんな人間であろうと、最 後はごみになるしかないんだと。

 この本の中に書いてありますけれども、病気になってからも、検事総長とし ての仕事やその他を、全部抜かりなく処理していかれるんです。そしてね、こう 書いてあるんです。いよいよ最後になって、「もうこの段階で自分の一番大事な 問題をはっきりしておかなければならないと思った」、と。その大事な問題って 何かというたら、自分は死んだらどうなるか、と。それを自分はどう思っておる んかということを、親しい肉親にはっきり言い残していかんならん、と。こうい うことになって、ある日自分の枕元で看護してくれている妻に、私の家は浄土真 宗だ、けれどそれは家の宗教である。家は浄土真宗であるけれども、私は別に信 仰を持っているわけではない、と。

 こういう人がいま多いんです。家は浄土真宗だけれども自分自身は何も信じ てない。したがって、浄土真宗ではいろいろなことを言うようであるけれども、 私自身は死んだら、地獄とか極楽とか、浄土とか仏とか、そういうことは思って いない、と。死んだらたとえどんなものであろうとゴミになるだけだ、と。こう いうことを奥さんに言うわけです。

 皆さんどうでしょうか。私その場面を想像してみるんです。年寄りが二人だ けで生活してます。偉いご主人であったけれども、ガンになって、もう長いこと ない。二人きり。心細いですね。その、心細いときに、死んでいく相手の、頼り にしているご主人がですよ、「死んだらただゴミになるだけだ」と、こういうこ とを言われたときに奥さんの気持ちはどうでしょうか。この奥さんは、「そんな こと言われたら、後に残る私が寂しい、死んでからでも守ってやるといってくれ なくちゃ嫌です」と、こう言うんですわ。私、もっともだと思うんです。どんな 人間でもそうでしょう。

 ところが伊藤栄樹さんはね、それを聞いてね、死んでいく私はそう思ってい るけれども、後に残ったものとしてはなるほど、そういう思いになるだろうなと 、こういうことを思われてね、そして、後に残る人のことも考えねばならないな と、こう思ったと書いてあるんです。ところが、こう思ってはみたけれどもこの 考えはまげられん、と。「お前の気持ちは分らんではないけれども、結局それし かないんだ」と、こう言うんです。そうすると奥さんは、黙って下を向いて涙ぐ んでいた、と書いてあるんです。

 私ね、先程、暁烏先生とお母さんが、死を前にした語り合いをお話しさせて もらいましたけれども、人間にはいろんな最後があるんですね。何という違いだ ろうと思うんです。夫婦であって、何十年一緒に生きてきたけれども、最後にそ ういう気持ちで別れあわなければならない。

 そしてこの本を読んだ、北海道の鈴木章子さんという方がいらっしゃいます 。この方は四十二歳でガンになって四十七歳で亡くなられました。皆さんもご承 知かと思います。 いろいろな話を聞かせていただいたんですけれども、やっぱ りいまだに忘れられないことは、この伊藤栄樹さんのことを話し出されて、「あ の方は人間死ねばゴミになるとおっしゃったけれども、私はあの本を読んで黙っ ておれなくて、伊藤さんに手紙を書きました」というんです。伊藤さんはもう死 んでいるんですよ。それに書かずにおれんで書いたというんですよ。どういうこ と書いたかというたら、「伊藤栄樹様、あなたは人間死ねばゴミになると言いま すが、それではあなたが亡くなられた後、自分の子供や奥さんに、ゴミに手を合 わさせるのですか」。

 どうでしょうか、皆さん。死んだらゴミになる。どんな偉い人間であっても ゴミになるだけであるというんだったら、私達が亡くなった方の前で手を合わせ るということは、ゴミに手を合わせるということになる。それが、日本の代表的 知性人、検事総長です。そういう人がそういう本を出してそういうふうに言って おられる。それでさらに鈴木章子さんは、「あなたはそう言われるけれども、そ れではあなたにとって、亡くなったお父上お母上は、ゴミなんですか」と。

 皆さん、そんなことで人間がすませますか。生きていけますか。自分の死ん だ親がゴミでしかないという、そんなところで生きていけないのが人間なんです 。そういう大事な問題を、今日の学者の人達は、深く考えていないのでないでし ょうか。

 それで鈴木章子さんはそれを黙っておれなくてこう言った。「私は人間死ね ば仏になると信じています」。これだけ違うんですね。しかし、ただこれの違い だけを言うんなら水かけ論ですよ。じゃあ、何を根拠に、人間死ねば仏になると 言われるのか。ここを私達がはっきりすることが大事なんです。特に法事という 場では。


寺井山叢書第五集「〜法事の話〜 人間死ねば仏になる」より抜粋


この文章は当院の鍋谷道場で行われた林暁宇先生の御法話から抜粋したもので す。
このときの御法話については具足舎から出ております『〜法事の話〜 人間死 ねば仏になる』に全文が収録されております。

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