その先生が来てくださっているときに、ある一人の若いお母さんがそのお寺 へ人生相談に来られたんです。その先生のお座敷へ。で、どんな人生相談かとい いましたらね、「先生、私には何人かの子がおりますけれども、一番上の子が、 いま二十歳前の娘でございます。その娘がですね、どうしたことなのかその原因 は分かりませんが、最近母であるこの私にずいぶん返答に困ることを問い詰めて 来て、私は苦しんでいるんです。先生、こんなことを言う娘、私は親として何と 返事してあげたらいいんでしょうか。お力お借りしたいんです」。こんな相談だ ったんです。 その先生は優しい先生でしたから、「ああそうですか、お母さん、お嬢さん どう言っておられるんですか」。こう聞いたらね、そのお嬢さんの質問は端的に はこんな言葉です。 「お母さん、何で私を産んだの」。 どうです皆さん。皆さんで想像してもらったらいいんですが、幼稚園や小学 校に行ってるんじゃない、やがて成人式を迎えようとするほどのね、大人になら れた娘さんが、母の目をじっと見詰めながら、「お母さん、お母さんはなぜ私を 産んでくれたのか」と、こう問い詰めるというのは大体どんな状況にある娘さん かということは想像つくでしょう。 言葉を返せばですね、「私は生まれたくなかった」ということを言っている 言葉でしょう、皆さん。これはすぐ想像できます。親にとってそれほどの悲しい 言葉はありませんね。そうじゃないですか。「お母さん、私は本当にこの世に人 としていのちを頂いたことが嬉しいんです。お母さんありがとうね」、もしそん な言葉を一人の子供から聞いたときに、母はどれ程の苦労が多くあったとしても 、娘の一つの言葉でふっ飛んでしまうのが親の心じゃないでしょうかね。そうで しょう。ところがね、懸命に育ててきたはずのその一人の子からですね、「お母 さんなんで私を産んだの」と、こう問い責められた母の気持ちは皆さんも大体ご 想像つきますね。 「先生、そんな娘に対してどう言ったらいいのか、一つ智慧を貸してください 」。こんな相談だったそうです。 そのとき先生は、「お母さん、それは大変でございますね。ご苦労の多いこ とでございますね。ならば一つだけ聞かせてください。お母さんご自身はなぜ生 まれたのか、そんなことはどうです、問題になっておられますか、おられません か」。こう聞いたそうです。そのお母さんは、「私はちっとも問題になっており ません。それは娘の問いでございます」。こう言ったんです。そしたらその先生 はですね、「ああそうですか、ありがとうございます。それならば大変申し訳ご ざいませんけれども、私はお嬢さんに直接話をしたい。申し上げたいことがござ いますので、お嬢さんを是非呼んで来ていただけないでしょうかね」、と言われ たんです。やがて、お寺のご近所だったんでしょうね、お嬢さんが来られたそう です。 で、娘さんがこのお母さんと一緒に来たとき、この先生はこう仰ったんです 。非常に緊張しているお嬢さんに、「お嬢さん、いまお母さんから聞きました。 あなたはね、どんな方もどんな人も、人として生まれた以上はどんな方も問わず におれない、なぜ生まれたのか、なぜ生きていかなきゃならんのかという問いを ね、ようこそあなたはずいぶんお若いのに持っていただきました。ありがとうご ざいました」と、両手をついてその若いお嬢さんにお礼を申されたというんです よ。皆さん、ちょっとこれかみしめてくださいね。 人間は、「これは何ですか」という問いから始まるんです。小学校がそうで すね。小学校の先生は、小学校の生徒さんに、「これは何でしょうか、これは白 墨、あるいはチョ−クと言うんですよ、憶えてくださいね」。ここから始まるで しょう。今度は、「あれは何ですか。あれは時計と言うんですよ」。こういうと ころから始まるでしょう。私達は、「これは何ですか、あれは何ですか」、とい って私達は向こうを問うことは十分訓練されてきたんです。ところが、その私達 が一生かかって、どこかで出会わなきゃならない問いは、ここに生きているこの 私とは一体何か、自分とは一体何か、これでしょう皆さん。 このお嬢さんはそんな深い意味で問うたんじゃないかもしれません。ただ自 分が自分で情けなくて、自分のこの今日の一日を保つことができないから、やり 場のない気持ちを一番近い母にぶつけたのかもしれません。ところがその先生は 、「お嬢さん、あなたはようこそ一人の人間として問わなきゃならない問いに、 大事な問いに、よく出会って下さった。ありがとうね。ここにもあなたと同じよ うに、私と同じように、自らのいのちのまことを問い尋ねる御同朋がいるんだ」 。こんな気持ちでしょうね。だから一番初めに、「お母さんあなたは、あなた自 身にはそういう問いはございませんでしょうか」と、こう聞いたときに、お母さ んは、「私はちっともございません」と。だから、娘さんがびっくりしたんです 。 人間とは、そのような自己のいのちのまことを問い尋ねる問いにおいて、本 当の人間になっていくんです。長く生きて、長く御飯を食べてきたから子供より も私のほうが親なんだとは、必ずしも言えないんです。人間として問わなきゃな らない一番大切な問い、それをもし見忘れてきたこの私がここにあるとするなら ば、もう一度一人の子に対して自分は本当の父であると言えるのか、本当の母で あると言えるのか、皆さんお互いに多いに反省しなきゃならんのではないでしょ うか。人生のまことを問い尋ねる、その問い尋ねる心を開くとき、初めてそこに 私達は人として関係を結ぶことができるのです。お互いに人間は、自分だけじゃ ない、皆どの人もどの人も人生のまことを問おうとしている方々、それが人間関 係の出発点になっていかなきゃならないんじゃないでしょうか。 この文章は小野蓮明先生の稱佛寺本堂落慶記念法要の法話より抜粋したもので す。 |