「真実に生きん」  松扉哲雄



 『徒然草』の第百十七段に、友とするに悪き者七つあり、善きもの三つあり といって、悪きものの第三に「病なく身強き人」を挙げています。ちょっと見る と頭をかしげたくなりますね。病なく身強き人は友にすれば大変こちらに役に立 つのでないかと思われますね。

 ところがですね、私には、これはよく分かるのです。手術を受けて病院に入 っていたことがあります。もう五十数年も前になりますがね。そこへ友達が時々 見舞いに来てくれるのです。その友達は元気づけるためにそう言うのだとは分か っていてもね、元気な顔して、「おいこら、松扉哲雄、なんじゃ弱虫やな。早く 元気になれよ」と言われると、自分に比べて友達の元気な様子が見えると、わざ わざ見舞いに来てくれて有難うと言うていてもね、こちらは、元気な友達と比較 して、自分が惨めに見えてきてね。せっかく見舞いに来てくれているのに、つい つい友達が恨めしくなり羨ましくなりますね。

 だから、今でも病院へ見舞いに行くという人に会うと、あんまり元気そうな 顔をして行くなよ、恨まれるぞ、と申すことにしているのです。病なく身強き人 は他人の痛みが分からない。だから、友とするのには悪き人だと吉田兼好さんは 言うのでしょうね。徒然草は七百年ほど昔の書物ですがね。さすがになあと共鳴 せずにはおられませんね。

 ところで、現代の日本社会はこの「病なく身強き人」の作った社会ではあり ませんか。そして、そんな人ののさばっている社会ではありませんかね。朝日新 聞の九一年八月十九日号に、こんな記事が載りました。

 埼玉県のJR高崎線熊谷駅で、身障者専用エレベ−タ−に十四時間も閉じ込 められていた、下半身不自由な車椅子の女性が発見されたというのです。
 この女性は熊谷市内で買物などをした後、帰宅のため午後六時ごろ、タクシ −で熊谷北口に着いた。タクシ−の運転手が車椅子をエレベ−タ−まで押して、 派出所の警察官がエレベ−タ−の扉の鍵を開けた。ところが警察官は乗せるまで は手伝ったものの同乗せず、駅にも連絡しなかった。この警察官は手伝った運転 手を保護者だと思った。運転手さんは警察官が送り届けると思ったという。この 北口は派出所でカギを預かっており、求められれば二階まで送り届けることもあ るという。ここでは、警察官もタクシ−の運転手さんも悪意は全くない。ただ確 認を怠ったのですね。

 この女性は、救出されたときに、「外の声が聞こえたので、声を上げたり、 車椅子をドアにぶっつけたりしたが、誰も気付いてくれなかった。せめてボタン が低い位置にあるか、ガラスの入った扉になっていれば」と話しているというの です。
 身障者専用のエレベ−タ−なのですよ。それなのに車椅子に乗った人が押す ことのできない高いところにボタンがあるのです。身障者専用に作るのであれば 、何よりも身障者の都合ということを考えるべきではありませんか。できれば身 障者の意見を聞き、身障者に試し乗りしてもらって、これでよいかを決定すべき ではありませんか。それが全くなされずに、健常者の手によって健常者の乗るの と同じものが作られた。そして、関係者はだれ一人としてこのことに気付かなか ったのです。

 そこには、日本社会の構造が全く身障者に配慮されていない、「病なく身強 き人」のためのものとなっていることをあらわにしています。このことがあって から、私も道を歩いても駅を歩いても、弱者や病人への配慮がなされているかな と見てみるのです。そうすると、日本社会はどこでも健常者を中心にしているこ とがよく見えてきますね。経済的に豊かであっても、人間的には貧しいのが日本 社会の現況であることを、十四時間も車椅子の女性をエレベ−タ−に閉じ込めて おいた出来事が私達に示していませんか。そして、何よりその根底には痛みを知 らない生き方に身を置いている、我々日本人の姿が見えてくるではありませんか 。

 東井義雄の書かれた『喜びの種をまこう』という本にこんなことが書いてあ りました。

 広島県下のある高等学校のことだそうです。夏休み、水泳大会が催されまし た。そのプログラムの中に、学級対抗のリレ−が組み入れられました。ある学級 で、リレ−の選手を誰にするか、学級会が行なわれました。三人まではすぐ決ま りましたが、残りの一人を誰にするかで紛糾しました。そのとき、「『A』に出 てもらおう!」と叫んだものがありました。いじめグル−プの番長の叫びでした 。『A』さんというのは女生徒で、しかも、小児マヒで、不自由な体の生徒でし た。とても、泳げるような体ではありません。『A』さんを泳がせて、笑いもの にしようという番長の意図だったのです。・・・・(略)・・・
 当日です。『A』さんが泳ぐ番になりました。残酷なことです。一メ−トル 進むのに何分もかかる有様です。まわりから冷笑の声が湧きました。その中を『 A』さんは、必死で泳ぎました。
 そのときです。背広のままプ−ルに飛び込んだ人がありました。「つらいだ ろうが、がんばってくれ!」「つらいだろうが、がんばっておくれ!」と、一緒 に泣きながら進み始めました。
 罵声、冷笑はピタリとやみました。励ましの声に変わりました。『A』さん が、長い時間をかけて、二十五メ−トルを泳ぎぬいたとき、先生も生徒も、一人 残らず、泣きながら『A』さんをたたえました。
 プ−ルの中に飛び込んだ人は、その高校の校長先生でした。みんなの笑いも のになりながら、必死で泳いでいる『A』さんを見ると、見るにしのびず、そう せずにはおられなかったのです。
 その高校にもあった「いじめ」はピタリと止んだそうです。校長先生の「こ とば」を超えた、「身」の叫びが、学校を変えたのです。


(この文章は、門徒研修会での松扉哲雄先生のお話から抜粋したものです。)

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