「こころをひとつにして」


末代無智の、在家止住の男女たらんともがらは、

こころをひとつにして、

阿弥陀仏をふかくたのみまいらせて、・・・・

(御文第五帖第一通 「末代無智」


 「こころをひとつにして」と言われると、精神を集中して、とか雑念を払って、とか考えてしまいます。

しかしこの場合は阿弥陀如来の心と自分の心をひとつにして、という意味になります。

阿弥陀如来が私達に「念佛申せ」と願われたそのお心と、

自分が念佛申すときの心の間にずれがないことを押さえなければならないというのです。


阿弥陀如来は私達に「極楽に生まれたいと願え」「そのために弥陀をたのめ」と願っているのであり、

決して家内安全や商売繁盛、無病息災を願え、とは言っていないはずです。

しかし私達は各自の思いまちまちに、佛に願いをかけて念佛を称えます。

そのすれ違いが「念佛なんて・・・」につながってしまいます。

私達が生きている姿をよくよく見抜いた上での「念佛申せ」の願いです。

なぜ法蔵菩薩が極楽の建立を誓い、すべての衆生をそこへ迎え摂りたいと願われたのか。


よくよく、「汝自身を知れ」と呼びかけられている私達です。

参照:「先祖供養が気になる方へ」 (小松教区布教チラシ)
参照:「不幸が気になる方へ」 (同上)

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