自我というのは「自分の思いの中に描かれている自分の姿」です。
思いの中に自分で勝手に描いたのですから、実物通りであるという保証はどこにもありません。
けれどそのことを忘れて私達は自分で描いた絵に執着します。
執着している証拠に、思わぬ事態になったとき、「なぜ自分が・・・」と言ってしまいます。
しかしその事態の方が実物であり、絵はあくまでも絵に過ぎないことを認めなければなりません。
この認識を「信の一念」と言うのでしょう。
信の一念によって自我は崩れ去ります。
「思い描いていたような自分など、どこにもいはしなかったのだ」と。
そこから私達に開かれてくるのは、この身のあるがままを教える働きに身をゆだねて行く世界、
すなわち南無阿弥陀佛です。
ありもしない自分の姿が滅ぶことに苦しめられていた私達が、
決して滅ぶことのない自分自身に出会うことになるのです。
ナムアミダブツは崩壊の音でもあり、新生の産声でもあります。
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