「宗教科」という科目で私が何をやっているか


 基本的に、「自分勝手に好きなこと」をやらせてもらっています。      

 私の宗教の定義は、「個々の人間の一番基本的なものの見方、考え方、感じ  

方」のことであり、誰もがすでになんらかの宗教で生きている、というところ  

から出発します。単純な話で言えば、「世の中、銭や!」という生き方をする  

人がいれば、それがその人の宗教です。授業ではまず自分自身がどのような宗  

教で生きているのか、それを生徒達に確認してもらうところから始めます。   

 授業の中では「差別」に多くの時間をさいています。世界的に、歴史的に、  

どんな差別があったのか、いま現にどんな差別があるのか、を様々な事例を紹  

介しながら伝えます。そんな中で、朝鮮、中国、沖縄、アイヌ、部落差別、そ  

して「いじめ」のことをテーマとして授業をします。一つの学年を担当すると 、

たいてい第2学期はまるまる差別の話に費やします。こんな授業をやらせてく  

れるのも、北陸大谷高校のすごいところだと思います。            

 なぜ「差別」を授業の大きなテーマにするかというと、この差別という現象  

の中に、私達が直視すべき私達自身の深い病根があるからです。その病根は現  

代社会の諸問題をも引き起こしていると言えます。              

 その病根の姿をひとことで言えば、「他者を踏みつけにした上に成り立つ私 」

です。「生きること=競争」となっている社会の中で私たちが見失ってしまっ  

た大切なことがあります。それがなんなのかを見つけだしてもらえるような授  

業をしたいと思っています。                        


私作テキスト 「歎異抄ノート」 ”高校生と読む歎異抄”

 高校生と歎異抄を読んでみようと思い立って書き下ろしつつあるテキストで す。

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