「不幸が気になる方へ」


何を願って生きていますか

 毎日の生活の中で、私たちは何を願って生きているでしょうか。四六時 

中考えているわけではないでしょうけれども、やはり誰もが何かを願って 

生きているはずです。                        

 充分な財産が手に入ること、出世・昇進すること。病気にならないで家 

族全員が無事であること、大きな災害に遭わないこと、などなど。そのた 

めに努力もし、気配りもするのですが、それだけでは安心できず、迷信的 

なものに頼ってしまうことがあります。                

 私たちはとにかく使えるものはなんでも使って身の安全を図り、幸福を 

招いて、不幸を遠ざけようとしています。               


友引、大安、鬼門

 例えば最近、「友引の日に葬式を出すと縁起が悪い」といいます。故人 

が親しかった友人を連れていく(友を引く)から死人が出る、という迷信 

です。                               

 ところが、友引というのはもともと中国の曜日のひとつで、「共引」と 

書き、賭け事で勝負がつかない状態を意味します。それが、日本へ来て「 

友」の字が当てられ、挙げ句の果てに「この日に葬式を出すと・・・」と 

いうことになっています。                      

 そのほか、「向きが悪いと家運が衰える」といい、家や墓の方向を気に 

したり、仏滅の日に結婚式を挙げると縁起が悪く、大安の日には縁起がい 

いといって「方向」や「日」を選んでいます。             


お日柄をえらばず

 まず浄土真宗では「吉日良辰(きちにちりょうしん)をえらばず」とい 

うことを言います。日の良(よ)し悪(あ)し、方向の吉凶を気にしない 

ということです。そんなもので人間が左右される生き方をあわれと教えて 

いるのです。                            

 神様にせよ、先祖の霊にせよ、何かが私の運命を左右していると考え、 

それらに働きかけて、身勝手な願いごとをかなえてもらったり、厄祓いを 

してもらうのが宗教だと思っているのです。              

 本来の仏教が私たちに願っていることは、どんなことをも恐れることな 

く、すべてを事実として引き受けていくことです。           


私一人の幸せとは

 いま私たちが願っている「幸せ」とは、しょせん、自分か自分に関係す 

る人についてのことでしかないということです。すぐそばのお隣さんのこ 

とも考えにすら入っていません。                   

 幸せになりたいと願うことは当然のことです。しかしその願いは、「す 

べての人が」というなかでしか達成されえないことなのです。      

 「わたしが」の思いがひるがえって、「すべての人が」と語ることので 

きる世界が「浄土」であり、私たちすべての願いです。        


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