死んだらどうなる?
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| 死を恐れ、死後の世界を不安に思う。それは、だれにもあることでしょ |
| う。死ぬとはどのようなことか、死んだ後の自分はどうなるのか。本当に |
| 地獄というものがあるのだろうか。 |
| 死や死後の世界を恐れるのは、「この先、自分がどうなるのだろう」と |
| いう大きな不安のひとつかもしれません。この自分が、そして自分の築き |
| 上げてきたものがこれからどうなっていくのだろうか。それを気にするの |
| は自然なことでしょう。 |
| 同時に自分のありさまをよりよくしたい、せめてこれ以上いやな目には |
| あいたくない、ということも私たちの素朴な思いでしょう。 |
宗教は掛け捨て保険?
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| あなたは死後について語ることが宗教だと思っていませんか。あるいは |
| 自分の祈りや願いを聞きとどけてもらうためのものが宗教だと思っていま |
| せんか。 |
| 死後の安心を得るためなら、今の生活をささげてもかまわない人がいま |
| す。自分に都合のよい願いを聞いてもらうためなら、お金を惜しまない人 |
| がたくさんいます。そのような人たちを目当てに、さまざまな宗教が勧誘 |
| の手をのばしてきています。 |
| 「とにかく安心させて欲しい」という人にしてみれば、それはありがた |
| いでしょう。それで気休めになるなら、安いものかもしれません。とこと |
| ん信じているわけでもないけれど何もしないよりはまし。まさに『掛け捨 |
| て保険』です。 |
現実に目をそらさないで
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| しかし、死後の世界のことはもちろん、このさき自分にどのようなこと |
| がおこるのか、だれにもわかりません。何かの力にすがって安心したつも |
| りでいても、現実には何も変わらないと思いませんか。 |
| 表面的な安心を得ることで、かえって私たちは現実から目をそらすこと |
| になってしまうのです。たとえば、いくら車に交通安全のお札をはってい |
| ても、いつも事故の危険にさらされていることに変わりはありません。 |
| 私たちには、いつどんなことがおこっても不思議ではありません。いか |
| なることもおこりうるのがこの身の事実です。その現実から目をそらさせ |
| ることが宗教のご利益なら、私たちはだまされているだけです。 |
迷いのただなかで
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| 私たちの現実は、自分自身がどのように考えていてもおこるべきことは |
| おきてしまいます。生まれたかぎり死は確実におとずれます。死や生の不 |
| 安にとらわれるよりも、今の自分を生ききることがより大切だと思いませ |
| んか。 |
| ありのままの自分は、情けなくみっともない姿かもしれません。けれど、 |
| それが疑う余地のない確かな自分です。その確かな自分に出あわせること |
| こそ宗教なのです。 |
| 確かに死後の世界が気になります。それは今の自分を持たないからです。 |
| とりあえず、生(なま)の自分を生きるところから一緒に始めませんか。 |
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| 私にさきだって生(なま)の自分を生きた方の言葉があります。 |