「焼香」について
仏教で香を用いる場合には以下の四つの意味があるようです。
1.香の香りを手向けることによって、佛をお敬いする。
2.自身の体臭を消すことによって、気分をさわやかに保つ。
3.香の香りを極楽の香りになぞらえ、極楽世界を思い描き、往生を願う。
4.香の煙の姿から、いよいよ己の無常をさとる。
私の独断ですが、この中では特に1と3が大切ではないかと思います。そし
て、真宗においては、阿弥陀如来をお敬いすることと、自身が極楽への往生を願
うということは全く同じ事です。なぜならば、私たち(衆生)が極楽へ往生した
いと願うことを願われたのが阿弥陀如来だからです。阿弥陀如来をお敬いするこ
とはすなわち、その願われたところを自身の願いとすることに他なりません。
ここで勘違いしてはならないのは、あくまでも阿弥陀如来が中心であって、
ご先祖達は私たちが念佛の教えに出会う縁となって下さった「諸佛」であるとい
うことです。例えばご葬儀や法事の時など、まるで死者への手向けとして焼香し
ておられるように見受けられますが、私たちが念仏の教えに出会うご縁となって
下さった方、という点を外してはなりません。焼香することが直接死者への供養
になると考えてしまうと、「慰霊」と言った真宗ならざるものへ傾いていってし
まいます。
また、近年の葬儀事情を拝見していますと、喪主並びにご遺族の方にとって
少なからぬ負担となっているのが「香列読み上げ順の決定」のようです。また、
この読み上げに不手際があったといって司会の方がひどく叱責を受けたというこ
とも聞きます。お気の毒なことです。焼香の読み上げはできるだけ大まかに、「
遺族・親族の方」「故人に有縁の方」「遺族・親族に有縁の方」などと分けて、
あとは参列の人が「自分は今日このご縁でこの葬儀に参列している」というとこ
ろで一度だけ焼香に出ればよいのではないでしょうか。
また、勤行の最中の焼香というのもなんとかできないものかと考えています
。真宗の葬儀は正信偈の勤行が中心ですが、だいたい焼香はこの正信偈のお勤め
の間に行われます。ご法事では読経中の焼香が多いようです。しかし正信偈にし
ても三部経にしても、宗祖のお言葉であり、釈尊の直説です。それが読誦されて
いるときにうろうろ立って歩いているというのはおかしいと思いませんか。ちっ
ともお敬いになっていません。僧侶の出仕前に参列者全員が焼香を終えておいて
、勤行の時はできるだけ正信偈の唱和をするとか、そんなことは考えられないで
しょうか。
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