「葬儀壇(野卓)と祭壇(斎壇)」について
ご葬儀の時必ず組み上げられるあの大きなセット。普通は祭壇と言っていま
すし、斎壇と書くこともありますが、どちらにしても不適切な言い方ではないで
しょうか。祭壇は神事に用いられるものの名前でしょうし、斎壇となればまず「
精進潔斎」ということを考えますが、べつに葬儀は精進潔斎とは関係ありません
。あるいはかつては斎場(火葬場)で組んだものだからと言うこともあるでしょ
うが、今日葬場と斎場ははっきり分かれてしまっていますので、祭壇とまぎらわ
しい斎壇という名前もやめた方がいいと思います。その用途がはっきりするよう
に、まずここでは「葬儀壇」という名前を確認したいと思います。
私のいる地域では、それほど遠くない昔まで、在所の火葬場で葬儀をしてい
たと聞きます。葬儀が済んだらすぐその場で亡骸に火を放つわけです。ですから
葬儀は野っ原で、ごく簡単な焼香台と供物を載せる台だけで行われました。それ
が野卓(のじょく)です。今日のような華美を競う葬儀壇が組まれるようになっ
たのは、葬儀会場と火葬場が別々になってからのことです。
べつに華美を競うからいかん、葬祭業者の言いなりになるからいかん、と言
うつもりはありません。葬儀本来の姿を失わず、大切な仏事としての形が取られ
るならそれでいいわけです。しかし今日の傾向は、やはり付加価値を高めようと
する業者が何でもかんでも付け加え、挙げ句の果てには葬儀の意味すら見失って
しまうような葬儀壇を組むからばかばかしいのです。
通夜、葬儀を勤める大切な意味は、亡き人を縁として、私達が南無阿弥陀佛
と向かい合うということに尽きるでしょう。南無阿弥陀佛と向かい合うというこ
とは、佛の教えに触れる場所だということです。ですから、「本尊中心」という
ことは外すことが出来ません。業者の葬儀壇ではあまりにも真宗の本尊が軽視さ
れています。
野卓形式の葬儀壇では、まず正面中央に本尊を掲げます。その前にお棺を安
置し、三具足などの仏具や供物を置く台を置き、焼香用の香炉を並べる台が一番
手前に来ます。本来葬儀に生花は使わないものですが、今日の状況では供華をな
くすこともかえってなじみませんので、この葬儀壇の左右に並べておけばいいと
思います。
(基本形はこちら)
当院で以前、業者の葬儀壇を組まないで、内陣の巻障子を開放し、本尊を仰
ぐ形の葬儀壇を組んでお葬式をさせていただいたことがあります。寺族の葬儀で
はよく行われる形ですが、一般の門徒の方にもその形をおすすめしました。最初
御覧になった方は「なんや、これは」と驚かれましたが、すぐに「せっかくお寺
で葬式するんやから、こんなふうにさせてもらえたらうれしいなあ」と言ってお
られました。なによりも、「亡き人を縁として南無阿弥陀佛と向かい合う」とい
うことが形としてはっきりと打ち出されています。
(写真はこちら)
まあ、ある程度葬儀屋さんにも稼ぎ場所を提供してあげなければいけません
ので、何もかもを取り払うということはできません。「本尊を中心とした葬儀」
でどのような形を取り得るか、一緒に考えてくれる葬儀屋さんと出会いたいと思
っています。
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