「お内佛」について


 蓮如上人に「本尊は掛けやぶれ、聖教は読みやぶれ」(『蓮如上人御一代記 聞書』六九条)というお言葉があります。この言葉から思うに、蓮如上人の頃の 一般民家には仏壇などなく、部屋の壁に本尊を掛ければそこが聞法の道場になったのでしょう。

 本尊さえ掲げれば、仏壇という箱がなくてもお内佛を作ることが出来ます。 床の間に本尊を掛け、その前に板を敷くか卓を置いて、そこに燭台(向かって右 )、香炉(中央)、花瓶(同左)の三具足を置けば立派なお内佛です。日本建築 の床の間というのは本来このような使い方をするために作られたもののようです 。

 真宗ではあまり「佛壇」という言い方をしないようです。佛壇はたんなる「 物」としての呼び名ですが、お内佛はその前に広がる空間を道場にする「はたら き」を含めて呼ばれる名前だと言えるでしょう。もちろんそのはたらきは中央に 掲げられた本尊に由来しています。

 聞法生活の中心としてのお内佛、という意味を見失うと、あとは迷信的なこ としか残りません。いわく「わが家の守りぼとけ」、「ご先祖のお家」など。ま あ、大体のお宅の佛壇がそうなってしまっているようです。馬鹿な仏壇屋が「守 って守ってご先祖サマ〜(ガキの声)」「祈るのじゃあ〜(厳かに)」なんてい うコマーシャルを出してますが、佛壇というのは何かそんなニュアンスを持たさ れてしまう言葉ですね。あちこちの神社やお寺のお札やお守りでにぎやかしい佛 壇を見ると、「お内佛にはほど遠いなあ」と思わされます。まあ、そこが私達の 仕事なんですけどね。

 お内佛に向かうときは、自分自身を見つめ直して下さい。阿弥陀如来が佛に なられたのは、私達のありさまを悲しんでのことです。何がそんなに悲しかった のか、よくよく考えてみなければなりません。それを忘れて、「あれをお願いし ます、これをお願いします」では、ますます迷路に入り込んでしまいます。前段 に書きましたように、先祖を慰霊する場所でもありません。

 お内佛のおかざりは、ご本尊と三具足が基本になります (基本形はこちら) 。あとは法要の軽重に従って打敷が掛かったり、蝋燭の色が変わったりしま す。詳しくはお手次、あるいはご縁のあるお寺のご住職に指導を受けて下さい。 大体、原則と例外を覚えれば、そんなにややこしいものではありません。例えば 、蝋燭は原則として朱、お弔いごと(枕経から満中陰)の間は白、と覚えればい いでしょう。月々の命日なども朱ですが、、さほど重いお参りでない場合は白で 代用してもよい、となっています。年忌法事、報恩講などはもちろん朱にします 。

 お内佛にお参りする意義やおかざりの決まりなどについては「お内仏のお給 仕と心得」( 真宗大谷派宗務所出版部 刊)をご覧下さい。

 くれぐれも、「ホットケ様」になりませんように。
   

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