一応テーマとなる言葉の五十音順に並べてありますが、かなりおおざっぱです。
院号法名はいくらですか?
「永代経」って何ですか?
大谷派(お東)と本願寺派(お西)はどう違うのですか?
帰敬式(おかみそり)って何ですか?
「北枕」はどうしても北に向けなければならないのですか?
なぜ仏教はたくさんの宗派に分かれているのですか?
お焼香は1回ですか2回ですか?
人は死んだらどうなるのですか?
「相続講」って何ですか?
「お手次(てつぎ)」ってどういうことですか?
南無阿弥陀佛と南無妙法蓮華経はどう違うのですか?
お念仏すると何がどうなるのですか?
お墓はいつ建てればいいのですか?
お布施はいくらぐらいですか?
お佛壇はいつ入れればいいのですか?
報恩講って何ですか?
法事はなんのために勤めるのですか?
| 当派(大谷派)では相続講
の志納金8万円に対して1件のお取り扱いです。
院号法名は、寺院を建立するなど、宗門の発展に対して大きな功績があった 人に授与された法名です。院号というのは、その建てたお寺の名前です。いつし かそれが一つの名誉的な称号として捉えられ、他宗においては1文字何十万と噂 され、寺院・僧侶の堕落の象徴のようにも思われているようです。 まあ、日頃仏法になんの縁もない人が法名や戒名で見栄を張ろうというのな ら、ふんだくってやってもいいかもしれませんが。 とにかく、大谷派においては相続講の志納金の総額が8万円を超えている方 (もしくはその遺族)から申請があれば、御礼として本山から院号法名が贈られ ることになっています。 |
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| 永代に仏の教えが伝えられることを願って勤められるお寺の法事です。
どなたかが亡くなられた折、残った遺族が「仏法興隆」の願いをかけて 手次の寺 や御縁のあったお寺に懇志金を納めます。このことを「永代経を納める」と 言ったりします。また、自身の生前に志納するものを「存命永代経」と言ったり します。 お寺はその願いに応え、永代経を勤め、その懇志金を元にして教化伝道の法 座を開きます。寺院の財政的な面からも、大切な収入項目になっています。 多くのお寺では、本堂などにこの永代経に志納された方々のお名前を掲げて おります。 |
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| 形の上では大谷派が本願寺派から分派したと言えます。
本願寺の勢力と織田信長の対立から「石山合戦」と言われる戦が起こり、こ の戦の終結方法をめぐって本願寺第11代顕如と後の第12代教如の意見が異なりま した。このときの対立や、後々の政治状況も絡んで、いったん隠居の形を取らさ れていた教如が別に本願寺を起こしました(1602年)。教如に連なる流れが大谷 派であり、従来の本願寺派の本山との地理的な位置関係から「お東」と呼ばれる ようになったのです。 御影堂内陣やお内佛の装飾、仏具、声明作法、法衣、本山の報恩講の時期な どが東西で様々に異なります。また、教団としての気風も少なからず違うような 気がします。教義的には・・・・西のことはよく分かりません。なんかけっこう 、「東は東、西は西」という雰囲気があります。 |
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| 人の仏になる道がいくつもある(ように見える)からです。
仏教の宗派はそれぞれが「こうすれば仏になれるとお釈迦様が言われた」と いう主張を持っています。その主張に従ってそれぞれの宗派に属する人は仏とな る行を積むのです。自分の力で仏になれると思う人はそれなりの修行を積めばよ いのです。 しかし本当にそんなにたくさんの道があるのかというと、「?」です。浄土 真宗は、「自分の力で自分を仏にすることなどできない」という目覚めを基本に します。そこから言えば、「私に縁のある教え(宗派)」はおのずと限られてく るのではないでしょうか。 |
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| 当派(大谷派)では「2回」ということになっています。
大谷派の公式の出版物で焼香の作法を記したものには「2回」と書いてあり ます。また、焼香前に一度お香を戴く(額に近づける)所作をする人をよく見ま すが、当派の作法ではありません。 作法を知っておくに越したことはありませんが、 「焼香をすることの意味」 もあわせてご理解下さい。 |
| 参照:『お内仏のお給仕と心得』(真宗大谷派宗務所出版部刊 ) |
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| 釈尊のお答えは「・・・・・・。(無言)」でした。
実は死後の世界について釈尊は「ある」とも「無い」とも「わからない」と も答えておられません。お答えになられなかったことは、お答えになられなかっ たこととして受け取るしかないのです。死後の世界について「霊魂」などを持ち 出して語る坊主(例:O田M道)などは何を根拠に言っているのかよく分かりま せん。 あえて釈尊の真意を測れば(不遜なことですが)、この問い自体が迷いの産 物であるということではないでしょうか。なぜ死後の世界が気になるのか、その 理由の方を考えてみて下さい。 |
| 参照:「死後の世界が気になる方へ 」( 小松教区教化委員会 発行布教チラシ)」 |
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| 大谷派教団の年間経費を門徒全体で負担する仕組みの一つです。
度重なる火災から両堂復興の負担に窮した教団は、明治18年に相続講とい う募財機構を作り、講員となった者から男子2円、女子1円の拠出金を募りまし た。その趣旨とするところの「法義相続・本廟護持」は現在も生きていますが、 様々な批判もあります。 全国で小松教区と大聖寺教区を除いては、各末寺に対して相続講金の納付が 割り当てられており、前記2教区では門徒会組織が志納金の集金と納付を請け負 って下さっています。 私たちの教団の年間経費のうち、50%余りが相続講金によってまかなわれて います。 また、志納金の総額により、 院号法名 や須彌壇収骨の恩典があります。 |
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| 真宗門徒一人一人と本山との仲立ち(手継ぎ)をするお寺のことです。
江戸時代に「寺壇制度」というものがあり、この国の人はすべて家単位でど こかの寺の信徒に登録されることを通じて(思想的に)幕府の管理を受けました 。今日この制度はありませんが、その名残りのような形で家と寺との関係が続い ています。「うちはどこそこの寺の檀家だ(門徒だ)」という言い方がそうです 。各末寺も、昔から続いているそのような関係を基盤にして運営されています。 しかしあくまでも真宗門徒は、それぞれの本山を崇敬するのであり、各末寺 は本山からご門徒をお預かりしているのです。そして門徒一人一人は、自由に自 分の手次を選んでもよいのです。 |
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| 浄土真宗と日蓮宗の違いです。
南無阿弥陀佛と称えることは「念佛」、南無妙法蓮華経は「題目」と言いま す。天台宗等のいわゆる伝統的仏教では「朝題目夕念佛(逆だったかな?)」と いって現在も両方を唱えているようですが、鎌倉仏教に入ると、浄土(真)宗は 念佛、日蓮宗は題目、とはっきり分かれます。 「南無阿弥陀佛」は阿弥陀如来の本願に私たちが呼応して称える佛名そのも のであり、「南無妙法蓮華経」は法華経の守護力を頼んで唱えるお経の題名です 。 歴史的に言えば、日蓮は「念佛堕地獄」と言って親鸞とその教えを徹底的に 攻撃しましたし、その熱気は創価学会の方に受け継がれています。しかしこの攻 撃は浄土真宗の側から言えば「言いがかり」以外の何物でもありません。相手の ことをよく知らずに非難するのは、ただの教条主義です。 |
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| 佛の呼びかけに応えた者がそこに生まれています。
金が儲かる、病気が快癒する、天災から守られる、といったご利益が念佛に あるとは言えません。念佛は先祖供養のために称えるものでもありません。 念佛は、「念佛申せ」という阿弥陀如来の本願を受け取るところから生まれ ます。なぜ阿弥陀如来が私たちに対して念佛申すこと(のみ)を求めたのか、そ の理由がよくよく納得できたとき、私たちは既に救われていると言えます。 まあ、いきなり「念佛申せ」と言われても素直に言えるものではありません 。まずは、なぜ念佛申せないのか、その理由を自問自答してみて下さい。 |
参照:「 先祖供養が気になる方へ ( 小松教区教化委員会 発行布教チラシ)」 |
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| 思い立たれたときに建てるのが一番です。
「年忌の法事にあわせて」「吉日を選んで」とか、いろいろ言われる場合が ありますが、真宗の教えの上では全く関係ありません。思い立たれたとき、経済 的事情が許すとき、お建てになられれば結構です。 ついでに言えば、「向き」や「墓相」などといったものも気にする必要のな いのが真宗門徒です。 |
| 参照:「不幸が気になる方へ ( 小松教区教化委員会 発行布教チラシ)」 |
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| 具体的な金額は決められません。
お布施というのは、僧侶へのギャラではなく、自分達が崇敬する寺院の維持 ・運営のための資金となるものです。伽藍の規模や檀家さんの数、資産の多寡に よって寺院の経済状況はまちまちです。「精一杯の気持ち」と表現しても、お出 しになられる方の経済状況によって「精一杯」という金額も上下します。 それらの状況を踏まえた上で、それぞれのお寺の住職さんと門信徒の方々と の間で、例えば「お葬式の場合は年収の○○%ぐらい」という決め方をしてもい いのではないかと私は思っています。 |
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| 思い立たれたときにお入れになるのが一番です。
「年忌の法事にあわせて」「吉日を選んで」とか、いろいろ言われる場合が ありますが、真宗の教えの上では全く関係ありません。思い立たれたとき、経済 的事情が許すとき、お入れになられれば結構です。 ついでに言えば、お仏壇の「向き」なども気にする必要のないのが真宗門徒 です。 (この項、ほとんどお墓の項と一緒デス) |
| 参照:「不幸が気になる方へ ( 小松教区教化委員会 発行布教チラシ)」 |
| 浄土真宗の開祖・親鸞聖人のご法事です。
地域によって呼び方は異なるでしょうが、小松教区内では「ほんこさま(ほ んこさん)」と呼んでいます。 真宗門徒にとっての宗祖・親鸞聖人は1262(弘長2)年11月28日に亡くなら れました。私たちが正しく親鸞聖人の教えを受け継いでいるかを確かめるために 、毎年一度このご命日に前後して、すべての真宗寺院と、真宗門徒のお内佛で、 ご法事を営むのです。大谷派の本山(真宗本廟)では11月21日から28日まで勤め ます。門徒さんのお宅のお内佛の報恩講では正信偈のお勤めをして 「聖人一流」の御文 を拝読します。 |
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| 亡き人を偲ぶことを縁として、仏の教えに出会うためです。
今日、少なくとも年忌法事の習慣と、そこに親戚の何人かが集うという形は 残っています。心を静めてお経の響きに身を浸し、そのあとで法話を聞いて下さ い。今読んだお経には何が書いてあるのか、亡くなった方を本当に供養するには どうすればよいのか、仏教とは何のためにあるものなのか、この法事の時に聞い て下さい。 |
| 参照:「先祖供養が気になる方へ ( 小松教区教化委員会 発行布教チラシ)」 |
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このページに載せる質問をお寄せ下さい。
私たち僧侶にとっては当たり前のことであっても、一般の方々には分からない
ことが多いと思います。そのギャップが僧侶の目を覚ますことも多いのです。是
非、遠慮なく「これはどういうことか」という質問をお寄せ下さい。
メールの宛先:hikaru@po3.nsknet.or.jp