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99/09/05 「自己責任」
「玄倉川キャンパー水難死」。旧盆のしばらくあと、テレビのワイドショー は連日この報道だった。丹沢湖で最後のなきがらが確認されたのはキャンパー達 が濁流に押し流されてから十日近くも経っていたのではないだろうか。哀れなの は、若いご夫婦とそのお子さん達で、夫の方は自力で岸に上がれたが、妻の方は 遺体で発見され、お子さん達の方もそれぞれ明暗が分かれてしまった。亡くなら れた方々には全く、お気の毒である。
「どうしてそんなにまでして休みに遊びに行かなければならないのか」、「 キャンパーの中で最終的に判断を下す責任者が不在のままの悲劇」、「水難救助 の連絡体制を検討せよ」等など、様々な論評を目にした。生き残った数名の、特 に成人の方は充分以上の責めを自分自身にしておられることであろう。「最終的 な生命の保証は自己責任で」。当然のようなことが言われている。まあ、その通 りだろう。
もう一つ、かなりの時間を割いて各局が扱ったテーマがある。「若い女性、 自家用車の中で変死。実は厚底サンダルでの転倒が原因か?」の報道である。最 近大流行の厚底サンダルに対して、「若い連中がまた馬鹿な格好流行らして・・ ・」と眉をひそめていた中年以上の人は、「そら見たことか」と言っていること であろう。
この2件、とにかく人が亡くなった。そしてその亡くなり方については、亡 くなった者(達)自身に責任があると誰もが見る。「こんな結果になることぐら い予想できないのか。ブームに流されるだけで、危険性の認識が甘い」という意 見だってあるだろう。それもまあ、その通り。ただ、私がこの2つの事故から考 えたのは、全く別の方向のことだった。
「ブームに流された生き方」をしているのは私達自身ではないのか。そして その結果どんな危険なことが待っているのかを考えたことのないのもまた、私達 ではないのか。
別に今の社会に目に見えるようなブームとしての生き方があるわけではない 。しかし社会全体が一つの方向を向いて進んでいるということ自体、そこに生き 方のトレンドがあるということだろう。「競争社会」として、1点・1ポイント をせめぎ合う。そうでなければ刹那の「快楽主義」に身を任せる。この二つのト レンドからはじき出されるとあとは「余生を送る」しかないらしい。
その結果、どんな危険が待っているのか。「これは一体、何だったんだろう 」と振り返るしかない死に方ではないのだろうか。死に様(溺死、事故死)を云 々する人は多いが、どんな生き方をした上での死か、ということを考える人はあ まりいないようだ。
誰もが同じ方向に向かって走っていれば、自分もそちらに向かって走ればい いように思うだろう。しかし最後の死を受けるのは自分自身なのだ。「おまえが こっちに向かって走っていたから俺も走ったんだ。なのにこの結末は何だ。責任 取れ・・・・・」。アホか。しかしそれが現実。
「自己責任」という言葉。私は今の自分の生き方に対して、自分自身で責任 をとるような選択をしたことがあっただろうか。