〜赤本(聖典)と白本(新聞)の間で〜




99/08/23 「民が世」

 高校時代に体育祭で応援団の団員をやった。統率し、統率されることに快感 を覚えてしまった。「右向け右」と号令をかけると全員がそれに従うことの気持 ちよさがあったかも知れない。今から思えばちょっとヤバイ自分だった。

 人は従うべきものを見いだしたときに自ずと行為するのであり、何ごとかを 強制されることはちょっと相当腹のたつことである。「一応法律的に決めただけ であって、強制することはない」と言うが、強制したい人にとっては法律の条文 が大義名分になることは目に見えている。

 何のことかと言えば、「国旗・国歌」のことだ。幸い私が講師として勤める 学校は真宗大谷派の関係学校で、「君が代」の斉唱を強制されることはないし、 そもそもこの歌を歌うことがない。日の丸もない。
 「君が代」の歌詞の問題点についてはあちこちで議論されているのでここで は言わない。私がこの歌を嫌いなのは、この歌を歌わせようとする連中がいるか らなのだ。そういう連中の中には自分の軍隊経験を誇らしげに語るのもいる。そ こに自分の青春が凝縮されているかのように、ノスタルジックに。『戦争論』が 売れるわけだ。

 だいたいが今回の法律の成立の仕方に君が代のうさん臭さが表れている。ま ず「君が代・日の丸」ありき、あとは多数決。結果だけを我々に押しつけ強制す る。「そういう体質」の人々が推す歌だからこそ、素直に国歌として認めたくな いのだ。そして「そういう体質」の人ほど「君」の意味をすり替えていきたいと 思ってるんと違うかいな。

 「私は君が代を国歌として歌いたくはない」。この発言がおおらかに許され る国であるならば逆に歌ってもいい。しかし悲しいかな、私はこの発言に多大な 勇気が必要とされると思う。そんな国じゃないんだよ、この国はまだ。まだ、と 言ってるけれど、いつになったら、どうやったらそれが言える国になるのかもよ く分からない。

民が世は/千代に八千代に/さざれ石の/巌となりて/苔のむすまで

 最初の「キ」の字を「タ」に替えて歌ってみた。なにか違和感があった。や はり「キ」で始まる歌詞を聞き慣れているからか、発音として「タ」よりは「キ 」に切れ味があるからか、よく分からない。でもこの違和感が大事なんだと思う 。無意識のうちに「君」を受け入れてしまう自分をつつくためにも、「民が世」 を歌うことにしよう。


目次へ戻る