〜赤本(聖典)と白本(新聞)の間で〜




00/12/30

21世紀? それとも25世紀?

 始めに申し上げておきますが、この項は武生市の藤枝宏壽さんよりの問題提起をもとにしております。

 藤枝さんからいただいたメールには、
「世紀ではなく、せめて西紀と表記を」「佛紀、佛暦を使おうとしないのはなぜなのか」という問題提起がありました。メールの後半を引用しますと、
『西欧が「世界」ではない。しかも20西紀における西欧科学文明がいかに地球を痛めつけ,自然を破壊する結果をもたらしたか,今や大きな転換期に来ている。西欧的合理主義の行き詰まりが見えている。今になって人間と自然との「共生」を唱え始めたが,東洋には昔から人間と自然一体の思想・宗教がある。今こそ世界は東洋の叡智に光を求めるべき時である。
 このような時期において,「21世紀」という単なる西欧暦の区切りに余りにも振り回されることは如何なものか。』とありました。

 私もこの考え方に賛同する者です。

 私達の生活の基本の一つが時間です。その時間を、何を基準に、どう区切るかということは、個人の生活から社会の有り様までに影響を及ぼす大問題です。例えば12月31日を大晦日と言い、1月1日を元旦と言いますが、この二日間は天文的に言えば単に地球が1回自転しただけであっても、人間社会では往って還るほど違う日の扱いになります。年の瀬と言って社会ではたいそう慌ただしく動き、新年と言っては社会が大休止します(最近はそうでもないですけど)。

かほど左様に、時間の区切り方は人間社会に大きな影響を持っています。その時間を計る大きな単位が「年」、そして「世紀」です。

 例えば私の中にある大きな出来事で、それ以降と以前の出来事を時間的に位置づける基準が一つあります。なぜかそれは「大阪万博の年」なのです。西暦で言えば1970年。私が満9歳から10歳にかけての年で、この年、私は真宗大谷派の僧侶として得度しました。得度も大事件だったかもしれませんが、とにかくなぜか中心は万博なのです。夏休みに会場を歩き回って、暑くて、ただ疲れただけという印象しかないのですが、子供心に、「ここで何かすごいイベントが起こっている」という印象があったからでしょうか。

 これが社会全体、あるいは国家ということになると、個々人の意識を超えて、共通に「始まり」と認識できるイベントを元に年を数えることになります。キリスト生誕から数えたものが「西暦」であり、以前日本にも神武帝即位より数えたものが「皇紀」としてありました。

 余計な話を2つ。その1、なぜキリスト生誕は12月25日なんでしょうか。生誕から数えると言うならこの日が1月1日ではないのかしらん。その2、「零戦」という有名な戦闘機は、皇紀2600年に企画書が出されたからこの名前が付いたという。やはり戦時中は皇紀が使われたんですねえ。

 閑話休題。元号というのは、天皇の即位毎に、あるいは時代や社会のありようを見て「気分転換」(為政者にとってはもっと深い意味づけがあったのでしょうが)に変えられたものです。近世以前はもうめまぐるしく変わったものですから、日本史なんかで年号を憶えるのは私のような雑な記憶力の者には本当に迷惑な話でした。

 そういう私も、平成より前に亡くなられたお檀家さんの年忌を数えるときはつい「え〜と、今年は昭和で言えば七十ン年だから・・・」とやってしまうのです。まあそれは、昭和がずいぶん長かったからという理由もあるんですけど。

 年を数えるときは、何を出発点にするかが問題です。そこに「史観」が表れてきます。そして「史観」は、今現にここにある自分がいかなるものとして歴史の中に位置づけられるのかを教えます。いまは平成と言われても、べつに私にはなんの意味もないし、21世紀だと言われても、そんなもんかなあと思います。

 「釈尊が亡くなられて2500年が経つ。世はまさに末法の世である。」これなら自分に随分と意味があるように思えます。経道滅尽、唯有浄土一門可通入路。

 「よっしゃ、これからは佛暦でいこう」と勇んで、「さて今年は佛暦何年かな」と思って調べてみたら、あにはからんや、所説様々で決められない。大谷派の関係学校の聖典や、宗務所出版部の本にもまちまちな数字が載せられている。大ざっぱに言えばいまは釈尊生誕後、だいたい2450年以上は経つが、2600年は経っていないようである。がしかし、参った・・・。

 佛暦を使ってみようとは思いつつ、大谷派宗門の中でもきちんとした数字が決められてはいないようだ。お〜い、教学研究室ヨォ、なんか見解はないんかい?

 まあしかし、世紀末だ、21世紀だという騒ぎは、あくまでも「西暦」の数字の上だけの話。なんでそんなことに仏教徒が振り回されなければならないのかねえ。「クリスマス」とおんなじだ。

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