〜赤本(聖典)と白本(新聞)の間で〜




00/11/22

国に地獄餓鬼畜生あらば正覚を取らじ

 ア〜ア、茶番だった茶番だった。なんじゃあの最後の腰砕けは。べつに森内閣が倒れれば日本が良くなるなどとも思わないが、「国民の75%が内閣を不支持」という現状に対して、何か納得できる反応を示し得る国会を期待してしまった。しかしその期待は見事に裏切られた。

 主権在民?いえいえ、この国は「主権在永田町民」。ついでに言えば永田町は日本ではないらしい。国会議員の方々の使う日本語は日本語によく似ているけれど日本語ではないようだから。例えば「不退転」という言葉には「状況によってはどうとでも変わり得る」という翻訳を付けなければいけない。

 ハア、しかし国会というところは下品なところだ。嘘と裏切りが横行し、本会議場ではヤジと罵声が飛び交う。水ぶっかける阿呆まで出た。後の世の人々は言うだろう。「昔々、永田町の国会というところに鬼と餓鬼と畜生がおってな・・・・」。ああそうか、昔話の鬼ヶ島というのは国会のことだったのか。

 経済一流、政治は三流、それが国際的な日本の評価であり、だからいくら経済が一流であっても国家としてはどこの国からも尊敬されない。「政治家」という言葉にもどこか侮蔑の念が込められているように聞こえる。「末は博士か大臣か」なんてとんでもない、「○○ちゃん、政治家にだけはなっちゃダメよ、人間、まっとうに生きなくちゃ」くらい言われても不思議じゃない。

 あれだけ下品な場所にいれば、ただひたすら我慢我慢で笑っているだけの森喜朗さんがお上品に見えてしまうからお笑いだ。国会を見ていると「政治家の質は国民の質以上にはならない」という言葉が思い浮かぶ。まあいいや、なにをいまさら。下品な人の多い世界だが、日本という国がそうなんだから仕方がないか、とも思う。

 考えてみれば「森内閣」なのではなく、「日本的内閣の森バージョン」にすぎない。だから、病巣は永田町にだけあるのではなく、あそこは煮詰まった形で出ているに過ぎないのであって、同じ体質は日本全土にある。だから底辺から変えていかなければ国会も変わらない。

 永田町などというところにいると、人間としての正常な感覚が麻痺してしまうのだろうな。だから嘘をつこうが金で動こうが、そんなこと何とも思わなくなるんだろう。「恥ずかしい」という単語は永田町の辞書には載っていないに違いない。

 「永田町民」とひとくくりにしてしまっているけれど、もちろん良識ある代議士の方も大勢おられることでしょう。けれどやっぱりひとくくりにされてしまうということを代議士として背負ってもらうしかありません。

 閑話休題、国会は日本の縮図と書きましたが、地獄、餓鬼、畜生の満ち満ちた世界としてあれほど分かりやすい場所もないでしょう。

 法蔵菩薩がいよいよ佛(阿弥陀如来)となるにあたって、自身の浄土(極楽)について立てた48の願いを「四十八願」と呼んでいますが、その第一の願が「無三悪趣の願」です。「私の造る浄土は、地獄餓鬼畜生がない世界にせねばならない」という願い、誓いです。

 法蔵がこの願いを建て、それが極楽という世界として成就し、その報いによって阿弥陀如来となった、と経典にはあるのですが、このことを考えてみると色々なことを思わせられます。

 まず、法蔵は現実世界を見尽くした上で浄土の建立を願うわけですから、地獄餓鬼畜生は現実社会のことだということを思います。それらのない世界が極楽として成就したということは、やはり娑婆は娑婆なのだということです。また、成就したのが仏だということは、この世から三悪趣を無くすることは我々には出来ないことなのだということです。

 この世に地獄餓鬼畜生を生み出しているのは他でもない、私達一人一人だったのです。そしてその三悪趣を生み出す本性は、人間である限りなくならない。死ぬまでこの本性を抱えて生きていくのです。

 「死ぬまでこのままなら、どうしても同じ。なら今のままでもええやんか・・・」。そういう声も聞こえてきます。

 しかしそこが分かれ道です。『「慙」は人に羞ず、「愧」は天に羞ず。これを「慙愧」と名づく。「無慙愧」は名づけて「人」とせず、名づけて「畜生」とす。』という涅槃経からの引用が『教行信証』にあります。「恥ずかしい」と思う気持ちが人を人たらしめているのであり、それを失ったものが畜生なのだ、ということです。

 本性を変えることは出来ませんが、世のありさまに痛みを感じ、自身のありさまを恥ずかしいと思う、それが私達を人にしていくのです。人になる、ということは人であり続けるということです。真宗は私達を人とならしむる教えなのです。

 今回の騒動の各方面の主役の方々は、一体どんな恥を感じていらっしゃるのでしょうか。取り敢えず、やり玉に上がったあのお方の巨体にのっかった笑顔に、羞恥心のかけらも感じられないのは私だけでしょうか。 

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