〜赤本(聖典)と白本(新聞)の間で〜




00/09/02

 いやはや、今年の夏は暑かった。そして過去形ではなく、まだ暑い。さっき しばらく雨が降ったけれど、からからの地面にはまさに焼け石に水の如きお湿り でしかなかった。まとまった雨は当分天気予報に出てこない。

 暑いと、ただそれだけでやる気が失せる。「身体の不快感に神経質なタイプ 」と言えばいいのか、ちょっと熱があったり頭痛がするだけで集中力が削がれて しまう私は、この暑さがまた大嫌いだ。汗で服が肌に貼り付くだけで「うあ〜」 となってしまう。なに、遊んでいるときや肉体作業をしているときはどうと言う ことはないのだけれど、ややこしい本を読んだり文章を作ったりということはも うダメになってしまうのだ。まあそんなわけで、長らくホームページを更新しな かった言い訳でありました。

 そういえば先日北国新聞(地元で最も発行部数の多い新聞。このサイトのあ るネスクネットもこの系列)に、とあるお寺のホームページが紹介されていた。 というか、ホームページを出しているお寺として紹介されていたと言うべきか。 その記事の中で、「北陸地方ではホームページを出しているお寺さんは非常に珍 しく」とか書いてあったが、本当だろうか。私の知る限りでもかなりの数のお寺 さんがホームページを出している。ほんの数年前まではホームページを出したと いうだけで新聞に大きく取り上げられたけれど、最近では珍しくもない。時代の 進み方はどんどん速くなっている。「ナニ言ってやんでえ、バーロー、稱佛寺の サイトを知らんのか」。

 かといって、日常的にインターネットのサイトを閲覧することが出来る人は 全人口の何割ほどなんでしょうか。ちなみに、わが家でインターネットを日常的 に活用しているのは5人家族の中で私一人です。

世間話はこのくらいにして、この夏に気になった一つの記事について。

 8月25日付朝日新聞朝刊の文化欄に東大助教授の広田照幸さんが書いてい たのだが、「最近の青少年は昔に比べてはるかにおとなしくなっている」とのこ と。センセーショナルな青少年犯罪というか、凶行が立て続けに報道された中で 、「17歳」がずいぶん問題視された。が、件の記事によるとそれは「幻想」で 、若者達が全体に凶暴化しているわけではないという。

 統計的に見ると、検挙される青少年の数は一貫して減少し続けているらしい 。我々が「犯罪の低年齢化、凶悪化」という印象を持ったのは、マスコミのセン セーショナリズムの責任だという。まあはやい話が、派手な報道で我々の目がそ ちらに向けられ易くなってはいるが、被害者数は減少し続けているようだ。

 それがその通りなら喜ばしい限りだ。私も1学期の期末試験で生徒達に「最 近若者の凶悪犯罪がたくさん報道されているが、同年代のものとしてどう思うか 」というテーマで作文してもらった。「なんであんなことするのかわからない」 という感想や「そういう犯罪を犯した人と同じ歳だからといって、同じ目(「1 7歳」)で見られるのは迷惑だ」という言葉が多かった。

 ただしかし、である。件の記事で気になったのは、被害者数が増えずに加害 者数が増えているという指摘だ。それは多人数で一人をやっつけるケースが増え ているということを意味する。つまりイジメの構図がもはや青少年犯罪の基本に あるということではないだろうか。

 イジメは一方で多人数が一人の人間を攻撃する卑劣な行為であるが、もう一 方ではその多人数の側の仲間意識が強調される行為でもある。その仲間意識を今 の青少年はなによりも大切なものとしているのではないだろうか。携帯電話が青 少年層に広く普及しているのも、仲間意識を培う大切な小道具だからであろう。 なんで君達は、そんなにさびしいの?と聞きたい気がする。

 また、統計的手法によって、「青少年凶悪化」が幻想だったと明らかにされ たことはよしとしよう。しかし、統計の数値に表れることが現実を正しく捉えて いるかどうかも再確認しなければならないのではないか。検挙されるほどに外に 表れた犯罪ではなく、陰湿なイジメ、証拠不十分で教師が口出しできないトラブ ルは山のようにあるに違いない。

 やはり最後にものを言うのは、現場に生きる人の感覚かな。

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