今、必要だから

 友達とおばあちゃんの事で、けんかをしました。友達の仕事は看護婦です。友達の勤めている病院に、80歳くらいのおばあちゃんが入院してきて、100万円の人工骨を入れるという手術をしたのです。足の骨折を治すための手術です。友達はあと何年生きられるか分からないし、せっかく100万円もしたのに、リハビリもあまりせずにもったいない。それならその100万円を別の病気の研究に使えばいいのにと言うのです。よく分からないけど、お年寄りの方は入院すると決まった入院費だけを払って、100万円すべて自分で払ったというわけではなく、どこからか出たのだと思うのです。私、その話聞いて、少し違うと思った。おばあちゃんはあと何年生きられるか分からないけれど、明日もあさっても歩かなければいけない。一日たとえ、2,3歩しか歩かないとしても足が必要なんだと思う。それに身内の人だって歩ける足が得られるのなら、そうしてあげたかったのだと思うのです。でも、友達に、「雪絵の言っていることはきれい事だ」と言われました。それからそのおばあちゃんではなく、お年寄りの話になって、もう少しがんばれば、良くなるのに、リハビリをしない人が多いとか、自分でできることもナースコールを押して頼んだり、看護婦不足で大変なのにと。でも、私も意地になって、ずっとお年寄りの味方をしていました。私は看護婦でないから、医療の裏のことは分からないと。

 本当は友達の言っていることも分かるのです。でもずーっと先のことを考えるより、明日必要だから100万円という高額の手術をしたっていいじゃないって思うのです。

 私もそうなの。目が見えなくなったら、漢字も字も必要なくなる。でもね。今日、明日と字はまだ私に必要なのです。たとえ、一週間後、必要なくなるとしても、その間必要なの。それを分かってて、私漢字検定を受けました。どうも私は漢字が苦手で、おまけに字もすごく汚いし。

 そこで、検定を受ければ、覚えるしいいかなと思い、受けました。それと同時に汚い字もなんとかしたいと思い、習字も習いました。いつか必要なくなる字、漢字。だけど、今必要だったので習ったの。でも習うとき、ちょっと考えてしまいました。やっぱり無駄かなって。でもたとえ、明日いらなくなったとしてもいいやと思い、習いました。おかげで漢字も覚えたし、字も習っているときは気をつけて書くようになり、今年の年賀状は格好良く書いて見ようかしら・・なんて調子でした。でも習って、4ヶ月ほどで目が見えなくなり入院。退院するときには入院前と比べると視力は落ちてしまったので、習字は続けられなくなりました。でもね。結構これが私の自慢なのです。すぐやめることになったけど、「私やったよ」って


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